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「胸を張れる仕事」が人を育てる。役立てる喜びを重ね、さらなる地域貢献を。

日進電機株式会社
代表取締役社長 山下 勝央

更新日:2023年12月27日

静岡市立高校卒。名古屋の電気設備会社に就職し、電気設備工事における一連の業務を学ぶ。1993年、26歳のときに日進電機株式会社へ入社。工事部管理課に配属され、現場監督として施工管理を担当。1996年に営業部へ異動し、新規開拓に注力。その後、責任者を経て2003年に専務取締役に就任。2005年からは、グループ会社である株式会社サンハーツ(旧:株式会社ニューエレキテル)の代表取締役を兼務。2007年、日進電機株式会社 代表取締役社長に就任。経営塾への入塾を機に営業戦略を見直し、リーマンショックで大きく落ち込んだ事業を立て直す。2015年には新規事業となる「住まいのおたすけ隊」を開始。静岡県内トップクラスの実績をもつ電気設備会社へと成長させ、現在に至る。
※所属や役職、記事内の内容は取材時点のものです。

県内トップクラスの実績。創業60周年を迎える電気設備会社。

日進電機は、公共および民間における電気設備の計画・設計から施工・メンテナンスまでを一貫して手がける会社です。太陽光発電システムの設計・施工・メンテナンスを行うサンハーツとともに、グループで事業を行っています。

静岡を代表する上場企業や有名企業の本社や工場施設、学校など、公共から民間まで様々な電気設備工事・太陽光発電設備工事を担うB to B事業のほか、B to C事業では一般家庭の電気トラブルなどに対応する「住まいのおたすけ隊」、太陽光発電および蓄電池の修理・メンテナンスを行う「太陽光のおたすけ隊」を展開。二つの企業で四つの事業を柱としています。

創業からまもなく60周年。静岡県内トップクラスの実績をもつ電気設備会社へと成長できたのは、地元のお客様のおかげに他なりません。

日進電機の始まりは、祖父が創業したモーター販売の会社です。父の代で電気設備工事へと事業を鞍替えし、昭和41年(1966年)に法人化を果たしました。私が入社してから30年になりますが、これまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。

利幅の薄い仕事と疲弊する社員。入社して抱いた強い危機感。

入社したのは26歳のとき。名古屋にあった電気設備会社での修業を終えた私は、工事を管理する部署に配属されて現場監督として仕事を始めます。ところが、父の会社は想像以上に厳しい状態でした。

一番驚いたのは社員のモラルの低さでした。社長の父に敬語を使わない、挨拶もしない、出社時間になっても来ないし、いつのまにか帰っている。そして事務所は散らかり放題…。あまりのひどさに開いた口が塞がりません。それにもかかわらず父から出てくるのは、「働いてくれるだけでありがたい」という言葉でした。

当時は父の考えに大きな疑問を抱いていましたが、後発で電気工事の世界に入り苦労した父にとって、仕方のない状況であったことが今なら分かります。

入社当時の仕事の中心は、どこよりも安い見積りを出してようやく得られた、利幅の薄い電気工事でした。そのため他からも売上を作るために精を出していたのが、レジャーホテルや娯楽業のお客様との直接取引です。

レジャーホテルや娯楽業は休業日が少なく、短納期や深夜作業を希望されるお客様がほとんど。そういった現場をやりたがる会社は多くないため、受注単価の高い仕事でした。

しかし、限られた時間で作業をするために連日の深夜作業は当たり前。掃除も終わっていない客室に入って現場調査をすることも日常茶飯事でした。そういった仕事ばかりでは、社員が疲弊していくのは当たり前です。

私自身も現場に身を置きながら、「これではいけない」と何度も思いました。私や父にとっては会社を潰さないために必要な仕事でしたが、社員にとって決して誇れる仕事とは言い難いものでした。

さらに加えると、受注単価が高くても作業効率の悪かった直接取引は、実際にはほとんど儲けが出ませんでした。会社のためにも社員のためにも、家族に胸を張れるような仕事ができるようにならなければ、この状況を変えられない。私は強い危機感を抱いていました。

新規開拓に注力するも利益は増えず。理想にはほど遠い苦難の日々。

しばらくして営業部へ移動した私は新規開拓に励みました。仕事を増やすためにそれまで取引のなかったゼネコンを回り、見積りが出せる窓口を増やすことに力を入れたのです。

しかし、当時のゼネコンには今の時代では考えられないような協力会組織、商習慣が当たり前にあり、どんなに営業を頑張っても良い仕事は回ってこないのです。そんな業界の習慣を嫌っていた私は、何度も飛び越えて営業をしてよくお叱りを受けました(笑)。

それでも結局は、ゼネコンからたたき合いで得た下請けの安い仕事と、厳しい条件の直接取引でつなぐ日々。後発の日進電機にとって、この業界で生き残っていくことは本当に厳しいものでした。

私が目指す「社員が胸を張れる仕事」にはほど遠く、理想と現実の大きなギャップに飲み込まれないよう、懸命にもがいていた時期だったように思います。

悪循環から抜け出せずにどん底へ。転機となった経営塾との出合い。

新規営業に力を入れてから売上は増えていきましたが、採算の合わない現場が多く、ギリギリの状態が続いていました。そんな折、やってきたのがリーマンショックです。私が社長に就任して間もない頃でした。

当社はいよいよ赤字に転落。ある朝、出社した私を銀行の担当者が待ち構えていて、「今日中に借入金を全額返済してください」と言うんです。あの日の情景は今でも忘れることができません。

そして、悪いことはさらに続きます。売上を上げるために、安い仕事が増える。利益を出そうと、安く仕上げる。その悪循環から現場の管理さえままならなくなり、ついには事故を起こしてしまったのです。会社も私自身も、まさにどん底でした。

そんな私を見かねて声をかけてくれたのは、先輩経営者でした。若手経営者向けの経営塾があることを教えてくれたのです。それは京セラの創業者である稲盛和夫氏が主宰されていた「盛和塾」と、静岡を代表する企業・スター精密の佐藤肇前会長が主宰する「佐藤塾」。この2つの経営塾との出合いが大きな転機をもたらします。

すぐに入塾して経営哲学と経営数字を学び直した私は、それまでやってきた仕事はもう絶対にしないと決意。営業方法を変えて、施主やビルオーナーのもとへ出向き、「この仕事をうちでさせてください」と頼みに行くようになりました。

当たり前ですが、はじめはまったく上手くいきません。お客様が「よし任せる!」と言って元請けのゼネコンや設計事務所へ伝えても、「日進電機? 聞いたこともないし、使えません」となるからです。

もちろんそれで諦めるわけにはいきませんから、次は元請け会社へ行き、「一度うちを使ってみてください」と何度も頭を下げました。最後は温情だったと思います。「しっかりやってくれよ」と、ついに日進電機に任せることを承諾してくれたのです。

こうして一つ実績を作っては、次の案件を探して頼みにいくことを繰り返しました。技術がともなわずに元請け会社からお叱りをいただくことや失敗も数多くありましたが、必死になって仕事に打ち込み実績を重ねました。私たちの仕事は実績でしか評価されませんから、諦めずにやり続けることは本当に重要です。

また大きな仕事や高い技術を求められる仕事が増えるにつれて、社員の質の向上が必須課題となりました。挨拶や清掃・整理整頓などの基本から仕事への姿勢、考え方など、私が経営塾で学んだことを一人ひとりに何度も語って伝え続け、成長を促すことにも力を入れました。

「住まいのおたすけ隊」を開始。役立つ喜びがもたらした変化。

順調に実績を積み上げ、社員の成長にも手応えを感じ始めた2015年、「住まいのおたすけ隊」という、創業以来初のB to C事業を始めました。

おたすけ隊は島根県の島根電工さんがされている事業。当社はフランチャイズの加盟店としてこの事業を行っています。もともとフランチャイズ展開はされておらず、実は私が最初にこの事業に興味を持って問い合わせた際には断られています。

島根電工さんがおたすけ隊を始めた目的は、設備業界全体の向上にありました。B to Cの仕事はお客様の目の前で作業をするため、仕事の質はもちろん、身なりや接遇なども求められます。そんなB to Bとは違った厳しさがある反面、お客様の反応をダイレクトに感じることが可能です。

感謝の言葉を直接聞くことができ、期待以上の提案やサービスが提供できれば、信頼される。その喜びが社員を成長させ、さらに喜ばれる仕事へとつながります。このように社員の質、そして仕事の質を高めることが、業界全体の向上に寄与するという想いから始められた事業だったのです。

初めての問い合わせから1年ほど過ぎた頃、ありがたい偶然が重なって、事業ノウハウを教えていただけることになりました。「住まいのおたすけ隊」を開始してみると、直後から社員の意識が変わっていくのが分かりました。自分たちの技術やサービスで誰かを喜ばせる。その嬉しさとやりがいが仕事へのモチベーションを高めていくんです。

入社して以来、私は「社員が胸を張れる仕事」をできる会社にしたいと思い続けてきました。時間はかかりましたが、社員が家族に自慢できる県内の大手企業とのお取引や、住まいのお助け隊事業の開始で、ようやくその理想に近づいたと実感できた瞬間でした。

正直なところ、おたすけ隊の仕事は儲かる事業ではありません。しかし社員がイキイキと働き、しかもそれが地域貢献につながります。会社にとってこんなに良い事業はありません。

80名が理想の規模。基本を大切にできる方と一緒に前進したい。

この先は、静岡の中でのシェア拡大に専念すると決めています。拠点拡大やM&Aによる事業拡大を具体的に検討した時期もありましたが、少し立ち止まって考える機会を得たことで拡大路線は違うと判断しました。

マーケットや提供するサービスの質を踏まえれば、社員数80名で売上25億円の規模感がもっとも適当でしょう。私たちを必要とする地域の方々に貢献し、私たちのサービスを喜んでくださるお客様を増やしていくことに力を入れていきます。

また人材教育に力を入れるのは今後も変わりません。会社の価値は社員の質で決まります。人を育てることが今の事業の延長線上に、もしくはまったく異なる分野で、新しい事業を生み出すことにつながっていくでしょう。

日頃から社員の皆には、「あなたがいるから、日進電機に仕事を依頼するんだよ」といわれる仕事をしてほしいと伝えています。それは技術的な面でも人柄の面でも、喜んでもらえる人であってほしいという願いです。

安全が最優先の現場では、上司や先輩が口うるさくなることもあるかもしれません。それでも分からないことがあれば、面倒くさがらずに質問してください。勇気を持って自ら学び、まっすぐに成長してほしいと思っています。

挨拶や身の回りの整理整頓など、仕事はもちろん、人としての考え方や基本を大切にできる方にぜひ入社していただきたいと考えています。だれかの役に立てる喜びを味わいながら、この先の日進電機を一緒に創っていきましょう。

編集後記

チーフコンサルタント
原口 翼

山下社長は、静岡を代表する大手企業の経営者にも厚い信頼があり、私自身も大変お世話になっている尊敬する経営者の一人です。現在の安定した財務基盤や高い技術力、静岡を代表する優良企業との取引実績も豊富な同社からは想像もできないインタビューの内容でした。

これまでの蓄積の延長ではなく、過去を断ち切り社員が胸を張れる会社にしようと覚悟を決めた山下社長の行動力や仕事への取り組み方は非常に示唆に富むお話が多く、会社が厳しい時こそ、社長の覚悟がモノをいうことをリアルに聞かせていただいた貴重な機会でした。

また、会社の発展に力を尽くしてくれる社員に対する感謝やリスペクトを常に忘れない山下社長の姿勢にも尊敬の念を抱きます。社長が率先して普段心に思っていることをしっかり言葉に出しているからこそ、日進電機には感謝の文化が作られ、結果として顧客へのサービスが改善され業績にも貢献しているのだと思います。

そんな素晴らしい同社の今後の発展の一助になりたいと強く感じたインタビューとなりました。

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