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ジョイント技術を新たな領域へ。次の100年に夢をつなぐ。

株式会社ソミック石川
代表取締役社長 石川 雅洋

更新日:2017年8月30日

大学卒業後、トヨタ自動車に就職。生産技術の開発・量産化に10年間携わる。三好工場での生産現場サポートを経て、北米の製造事業を統括する現地法人へ。6年間トヨタ生産方式の普及業務に従事し、帰国後は生産調査部に着任。21年勤めた同社を退職後、2006年ソミック石川に入社。2012年に代表取締役就任し、現在に至る。
※所属・役職等は取材時点のものとなります。

自動車メーカーとのつながりから生まれた、ボールジョイント

ソミック石川の歴史は、大正5年にまでさかのぼります。大阪や三河に並ぶ綿花の一大産地として、織物が盛んだった浜松。鉄工所や鋳造所が数多く立ち並ぶ一角に、ソミック石川の原点「石川鐵工場」は誕生しました。

鞴(ふいご)で炉に空気を流し込み、ハンマーで鉄を叩く。曾祖父である菊三郎が、乳飲み子を背負った妻・福乃とともに、夫婦2人で織機用のボルトやナットを製造したのが当社の始まりです。以来、ずっと浜松の地で事業を続け、2016年に創業100周年を迎えました。

ネジ加工の技術を磨き上げ、浜松で知られる存在になった菊三郎は、織機メーカーにもボルトを納めるようになります。そしてこの取引が、日本の自動車製造の歴史にも大きくかかわるきっかけになりました。

豊田自動織機製作所(現豊田自動織機)の自動車部門が独立して、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)となった頃からネジを納品するようになり、戦後にはトヨタ自動車からタイロッドのネジ加工の依頼を受けます。

最初はネジ切りだけを行っていましたが、要望に応えるうちにボールジョイントの製造へと変化。自動車メーカーとのつながりも一層深いものになり、自動車部品の製造が事業の中心となっていったのです。

戦中・戦後は二代目と三代目が会社のバトンをつなぎ、大きな歴史の渦に巻き込まれながらも、製品作りと事業の継続に魂を燃やしました。2014年と17年に放送された「LEADERS」というドラマ。国産自動車を作るために人生をかけた人々の物語ですが、実はその中には当社3代目社長をモデルとした人物が出てくるんです。私は6代目ですが、当社が築いてきた歴史の重みを感じずにはいられないですね。

自動車部品の専門メーカーとして、国内50%以上のシェアを獲得

人間の関節に例えられるボールジョイントは、ボールの形状をした重要保安部品。ハンドルの操作をタイヤに伝え、方向維持や安定性の向上に寄与します。クルマが曲がることができるのは、ボールジョイントが担う機能のおかげです。

そんな自動車に欠かせない重要保安部品の専門メーカーとして技術を磨き、製品の加工だけでなく、設備や工法の開発まで手がけるようになりました。

自動車メーカーの海外進出に合わせて海外展開を開始し、アメリカ、フランス、中国など世界6カ国に現地法人を設立。現在は、海外に11の拠点があります。

ボールジョイントのシェアは、国内トップクラスの56%。一部の完成車メーカーを除き、世界中で販売されている数多くの自動車に、当社の製品が使われています。

2000年以降、衝撃吸収部品の「ダンパー」を開発し、自動車座席用としては世界初となる樹脂製ダンパーの製造にも成功。ダンパーの技術は住宅用設備の分野でも活用が期待されています。現在はボールジョイントが主力製品ですが、今後新しい市場の開拓を進め、ボールジョイントに継ぐ第二の柱として、主力製品へと成長しています。

また、当社には独自の内製技術があるため、トヨタ自動車と当社の社員が相互に現場研修や出向などで行き来することで、設計から生産までについての技術や仕組みを共有しています。

トヨタ生産方式が確立する以前から続くこの体制は、歴史の中で育まれたお客さまとの信頼関係の証。会社を育ててくださった方々への感謝の気持ちを忘れず、今後も良い関係を築いていくための努力を重ねたいと思っています。

100周年の節目に企業理念を刷新。社員とともに夢のある会社へ

会社の創業から100周年を迎えた2016年は、次の100年を考える1年でした。9カ月かけて会社のあるべき姿についてみんなで議論を重ね、企業理念を刷新。

「人のつながりを大切にし、力いっぱいの努力で、世の中の役に立ち、愛される会社となる」を新たな理念に掲げ、みんなの夢をかなえる「100夢プロジェクト」を実施しました。

100夢プロジェクトでは、社員から寄せられたさまざまな提案をプロジェクト化。部署横断でチームを作り、数多くの「夢」を実現させていきました。

食堂やトイレのリニューアルから、社内制度、業務改善、地域貢献につながる活動まで、提案内容は実に多彩。43個のプロジェクトすべてに、会社や仕事、地域を良くしたいという想いがつまっています。

私が「夢」を大切にしたいと思うのには、理由があります。会社にはさまざまな出来事が起こりますが、良いこともあれば、良くないことも当然ありますよね。私の場合は、入社した年がまさに良くない状況の年でした。

そんな状況に身を置いて感じたのが、「夢」の必要性。困難な状況でも、仕事に対して前向きになれるような希望が必要だと思ったのです。

SOMICの語源は「夢を創造し、未来に挑戦する」。すべてはこの夢から始まります。自分が社長になったら、社員がこれまで以上に夢を持てる会社にする。私は自分自身に誓い、今もその想いを強く持ち続けています。

必要とされるモノづくりを通して、地域の発展に貢献したい

浜松市では、地域発展につながる産業振興の取り組みに力を入れており、当社も活動に参加しています。イノベーションという言葉がよく用いられますが、今あるものをすべて無くして、ゼロから新しいものを生み出していくというよりは、できればすでにある技術や人のチカラを活かせる分野を見つけていきたいですね。

なぜなら、浜松には楽器や輸送用機器など、地域を発展させた高度な技術があり、今もそれを受け継ぐ人がいるからです。数々のすばらしい企業が誕生した、この地域ならではのイノベーションがあってもいいと思うんです。まずはそれを自分たちが率先して挑戦することで、地域の発展に貢献してきたいと考えています。

ボールジョイントやダンパーの技術は、自動車以外にも応用できるため、これまでとは違う分野でイノベーションを起こすことができるかもしれません。すでに電動車いすやリハビリ用装置など、医療分野で使われる製品の研究・開発を始めているほか、農業分野での製品開発のご相談もいただいています。

世の中のためになり、地域に愛され、必要としてくれる人がいる。自動車の発展とともに磨いた私たちの技術は、これからもそういうものに役立てたいと思っています。

ここ浜松で次の100年を、私たちと一緒に作りましょう

100年もの間、会社が存続できたのは、お客さまや取引先、地域の人々との「つながり」のおかげです。そして、自動車の発展を支えた当社の製品は、そのつながりがあってこそ作り出すことができました。

私も含め、歴代の社長にとって、社員は家族のように大切な存在です。ずっとこの地域で事業を行ってきた当社では、地元出身の社員が数多く活躍してくれています。それだけでなく、東京からのUターンや、浜松以外の地域から当社を選んでくれた社員がいるのもうれしいことですね。

私は、浜松という地域には温厚な人が多く、新しい人を受け入れる土壌があるように感じています。古くから鉄工所が栄えた浜松の歴史を振り返ってみても、もともとは徳川家康が他の地域の鍛冶職人を連れてきたことが始まりだといわれています。懐の深さとでもいうのでしょうか。そういったものが、この地域には昔から根付いているようです。

さまざまな経緯でこの地とご縁があったわけですから、せっかくのご縁を大切にしたいという思いがそうさせているのかもしれません。100年という歴史を経ても、まだやるべきことはたくさんあります。私たちと一緒に次の100年を、夢のある未来を一緒に作っていきませんか。みなさんとのご縁を楽しみにしています。

編集後記

チーフコンサルタント
原口 翼

1916年にボルトやナットの製造からスタートしたソミック石川は、2016年で創業100周年を迎え、現在ではボールジョイントの日本トップシェアの企業にまで成長しています。

取材では、石川社長より創業から現在までの会社の歴史を事細かに説明していただきき、一朝一夕には成し得ない歴史の重みをひしひしと感じられる取材になりました。

また、お話の端々で理念や地域とのつながりや発展、社員への思い、感謝、夢の大切さなどのお話があり、石川社長の経営哲学が垣間見れました。石川社長がそうした根幹を皆で大切にする企業を目指し、今後さらに積み重ねれれていく歴史に、これからも注目していきます。

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